体って本当に不便

体って本当に不便

 

幼いころからあまり体が強くなかった。アレルギー体質(主にハウスダスト)で小児喘息にかかったり、便秘症で週に1,2度しか便通がなかったり、吹き出物が出やすかったり。

現在はそのほとんどは改善したけれど、今度は精神的な面で不調がおおくなり踏んだり蹴ったりという感じだ。しかし精神病という症状も、脳内で分泌されるホルモンのバランスが崩れたり、自律神経が正常に働かなかったり、そういう原因があるそうだから、結局体が弱いということに変わりはないのだと思う。

自宅に家庭用ゲーム機がなかったころ、パソコンでFPSゲームに猿のようにはまっていた時期があった。キャラクターの視点でマップを動き回って敵を倒す。というもので内容はここでは触れないけれど、そのゲームにはキャラクターの体を離れてマップを自由に飛び回る、というモードがあった。

建物をすり抜けたり、空高くまで飛んだり、マップ上の人々の目には映らないのをいいことに、あらゆる場所を思いつくままに徘徊した。しかしすぐに飽きてしまい、キャラクターの体に入って敵を倒す日々にまた戻ってしまったのだけれど、その時に感じたのが「体が不便」ということだった。

体があるせいで、人は多くのことに縛られている。移動するときにはエネルギーを消費して体を運ばなければならないし、ずっと動き回っていると息が切れて苦しくなったりする。

気候や季節によって、自分の体温を保つために知恵を絞らなければならないし、ケガをすれば治るまでじっとしている必要がある。病気にかかれば死ぬかもしれないし、場合によっては集団を壊滅させる恐れだってある訳で、早急に治療しなければならない。

だからといって、リスクを背負うことを恐れて安全な場所でずっと動かないでいる、という訳にもいかない。なぜなら体を維持するためには食べ続けなければならないから。

体を持ってしまったために、どれだけ人は不便を強いられているのだろうと思う。交通機関だって社会制度やインフラサービスだって、その多くは体のためのつくられた仕組みだ。当たり前だけれど。

僕は乗り物にはあまり興味がないけれど、世の中には車やバイク、電車などに魅力を感じてお金を注ぎ込む人たちがいる。体を移動するための装置、という本来の目的を大きく超えて、そういった様々な文化が生まれるのは面白い。

けれど買い物に出かける、友人に会いに行く、役所で手続きを行う、などといった目的で時間と費用をかけて移動している時、わざわざ体を動かさなければならないなんて効率悪いよなぁと、心のどこかで考えてしまうのだ。

街も精神もネット上にアップロードして、ゼロ秒で移動できたらどんなに便利だろう。ケガや病気など、体の不調から解放されたらどれほど快適だろう。容姿や体形や肌の色などを気にする必要もない。

見た目に関することは全て交換、カスタマイズが可能で、生まれ持ったあらゆるものが枷にならなくなる。すると自分の考え方や感性だけを純粋に投げかけることができ、誰もが外面に惑わされることなく評価を下すようになるのではないか。

そんなSF的な思いをはせながら、僕は今日も電車に乗る。

※関連記事※

肉体を抜け出し精神だけの存在になったとき、人はどうなるのか

 

 

エッセイカテゴリの最新記事