これから夏が訪れる|02

これから夏が訪れる|02

屋上には年末の大掃除の時に一度だけ来たことがある。入り口の扉には鍵がついているが、老朽化のせいで壊れてしまいそのままになっているのだ。
ノリコの話しぶりから察するに、スダチくんはかなり頻繁に屋上に来ているらしい。鍵が開いているとは言え、勝手に出入りしているのが見つかればただでは済まないだろう。そこまでして屋上に行く理由とは一体なんなのだろう。

階段を上って行くにつれ、暑苦しい空気が密度を増していく。ねっとりとした空気が胸を満たし、息苦しさを感じさせる。階を上がっただけで教室の喧騒は驚くほど遠ざかっていた。そのうえ窓も閉め切られているため、辺りは私の足音以外ほとんど無音だった。
扉の前に立った私は、息を整えてからノブに手をかける。ゆっくりと体重をかけていくと、ざらついた音と共に扉が開き、風が勢いよく入ってくる。

眩しい日差しに手をかざしながら一帯を見渡すと、フェンスに背中を預けながらお弁当を食べるスダチくんの姿が目に入った。恐る恐る足を踏み入れる。風が吹いているせいか日差しのわりに暑さはなく、むしろ教室よりも涼しいくらいだった。
私の姿に気づいたスダチくんが、驚いた表情を見せる。

「あれ? どうしたの?」
「昨日はありがとう。プレーヤー渡してくれて」
「ああ、別にそんなこと。テープは本当に聞いていないからね」
私がその場に立ち尽くしていると、スダチくんの視線が私の手に止まった。
「それお弁当? ここで食べるなら座ったら」
「うん」
私は言われるままにスダチくんの隣に腰を下ろした。すると、スダチくんが奥の方を指差しながら口を開いた。

「でも、あっちの方には行かないようにね。職員室から見えちゃうから。昨日怒られたばかりなんだ」
私は膝の上で包みを開くと、カップケーキの箱を開けてスダチくんの方に向けた。
「これ、近くのお店で買ってきたんだけど、よかったら食べて」
「へぇ、おいしそうだね。ありがとう、もらうね」
「二つとも食べちゃっていいから」
「それじゃあ一つは君にあげる。一緒に食べよう」

スダチくんは膝の上のお弁当箱を片づけると、ケーキを手に取って口に運び「甘い」と呟いた。
太陽に雲がかかり、屋上が影に覆われる。二人の間から、甘いにおいを乗せた風が空に向かって駆けていく。

私はよく味も分からないまま、機械のように淡々とスプーンを動かしていた。お礼を言ってケーキを渡したらすぐに教室に戻るつもりだったのに、いつの間にか二人で並んでケーキを食べている。学校にいることを忘れてしまうような、不思議な気分だった。
ケーキを食べ終えると、私たちは名前を交換した。私はすでに知っていたが、初めて聞いたふりをした。

「いつも屋上でご飯食べているの?」
「うん。というか休み時間はほとんどここにいるかな」
「そうなんだ。隣のクラスなのに、全然見かけないから」
「静かだし、結構いいとこだよ」

「教室より全然涼しいしね。でもまた先生に見つかったら大変なんじゃない?」
「鍵を直さないのが悪いんだよ」
スダチくんはそう言って立ち上がると、フェンスにもたれて外の景色を眺めた。向こうは小さな森になっていて、その奥に田んぼが広がっている。登校するときにはうんざりするくらいギラついていた景色が、今は瑞々しく涼しそうにさえ見える。

「いつも一人で来ているの?」
「そうだね。誰かといるのは今日が初めて」
「なんかいいね、屋上って。教室より落ち着く気がする」
「そうだね。でも僕は、この場所が好きで来ている訳じゃないんだ」
スダチくんは言いながら立ち上がると、屋上の中央まで歩き、その場にごろんと仰向けになった。
「僕は空が見たいだけなんだ」
私はスダチくんの言葉にならうように空を見上げた。雲間から太陽が姿を現し、日差しが照りつける。私は額に手をかざし、目を細めながら見上げ続けた。

「こうして上を向くと、視界が一面、空に覆われるだろう。道でやろうとしてもなかなかこうはいかない。電線や建物なんかがどうしても視界の隅に入ってしまうからね」
「空が好きなんだ」
「ハヤシさんは?」
「どうだろう。いつも無意識に見ているものだから、あまり考えたことはないかな。でもこうやってなにもない所を見上げていると、ちょっと怖いかも」
「怖い? どうして?」

「なんて言うのかな。真っ青な空の中に落ちていくような気がして、鳥肌が立ちそうになる」
「空に落ちる……何かが降ってくる、じゃなくて?」
「ううん、違うの。広い空の中に自分がちっちゃな点になって落ちていくような、そんな感じがするんだ。……こんなこと人に話すのは初めてなんだけど」
「そっか。今まで考えたこともなかったけれど、でもそういう見方って面白いね」
他愛もない会話をしていると、昼休みはあっという間に過ぎて行った。やがてチャイムが鳴り、私たちは明日の昼もここに来ることを約束して別れた。

帰り道、私は自転車に乗りながらカセットプレーヤーの電源を入れた。(まったく懲りていない)イヤフォンから、高速で叩き込まれる地鳴りのようなバスドラムと、鋭く刻まれるギターリフが流れる。ネオクラシカル、と呼ばれるロックの一ジャンルだ。ラジオで耳にしたのをきっかけに、隣町のCDショップまで行ってようやく見つけた音源だった。
激しくも格調高いメロディ。宇宙まで届くんじゃないかと思わせる伸びやかなハイトーンボーカル。ドラムは更に速度を増し、転調と共に壮大なギターソロに突入する。雲間を疾走するような美しい旋律を追いかけるように、私は勢いよくペダルをこぎ出した。

生徒たちのほとんどは音楽が好きだ。教室では毎日のように歌番組やFMラジオの話題が上がるし、CDを交換したり休憩時間中にカセットを聞いている人も少なくない。しかし、彼らの口からロックの話題が出たことは一度もなかった。その理由は、ロックが奇抜な格好をした、不良たちの音楽だと思われているからだ。
二年ほど前に起こったあるロックミュージシャンの不祥事、そして触発されたファンたちが起こした複数の事件を機に、大人は私たちからロックを遠ざけようとした。音楽と呼べないようなやかましい音、暴力的な歌詞、奇抜なファッションが若者を非行に走らせる。と、何の根拠もない偏見だけを理由にして。

私は、反抗的な若者に正面から向き合うこともせず、そんなことでしか対抗できない大人たちを冷ややかに見ていたが、ロックに対するネガティブな印象は、徐々に生徒たちの間にも広がっていった。大人たちが遠ざけようとするロック音楽は、禁じられているゆえ興味をそそるもの、ではなく時代遅れのダサいもの、として印象づけられてしまったのだ。
逆立てた髪を振り回し、ぎゃあぎゃあ喚き散らす、技術もへったくれもない音楽。それが彼らのロックに対する認識だった。

大人たちの偏見に染められてしまったのか、たんなる流行り廃り、時代の流れなのかは分からない。しかし私は、彼らが偏見を抱くようなロックの表面的な部分を好きになった訳ではなく、他の音楽にはないスピード感、力強い歌唱に惹かれていた。だから私は、決しておおっぴらにはしないけれど、今も変わらず聞き続けているのだ。

先生にプレーヤーを取り上げられたときには、心底うんざりとした。私がクラスに馴染めないのも授業中に寝てばかりいるのも、すべて音楽のせいにされると思ったから。
しかしスダチくんの平気な様子から察するに、大して追求されたようには思えなかった。流石に先生も、中身を勝手に聞くような真似はしなかったのかもしれない。
それにしても、学校でノリコ以外の人とまともに話したのなんて何時振りだろう。私はメロディを口ずさみながら、坂に向かって更にスピードを上げた。

つづく

 

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