これから夏が訪れる|03

これから夏が訪れる|03

次の日は久しぶりの曇りだった。
私はいつものように机の上で顔を伏せながら、四時間目の授業が終わるのを待っていた。今日はいつもより起きるのが遅かったせいで朝ご飯をまともに食べられず、空腹感はピークに達し、今にもお腹が鳴り出しそうだった。
しかしそれ以上に、屋上に行けることが楽しみでもあった。学校に行って寝て帰って、たまにノリコと挨拶程度の会話をして、そんな単純行動の繰り返しでしかない、たった一人の学校生活において、屋上に行くことは大きな変化だった。

先生が黒板に打ち付けるチョークの音をBGMに、私はノリコのことを考えた。
ノリコは私とは正反対の性格だ。中学生の時はお互いの家に行ったり、二人で遊びに出かけたりもしたが、どういった経緯でそこまで仲良くなったのかは分からない。私は友達が少なかったし、反対にノリコは男女や学年さえ関係なしに顔が広かった。

それは今でも変わらないのに、どうしてこんなに距離を感じるようになったのだろう。同じ高校に進学してから、ノリコに急に近づきがたくなったことは確かだった。それはクラスが別になったというせいもあるが、彼女の周りにいる派手な友達が原因のように思えた。ノリコは購買に買いに出かける時も、休み時間も、トイレに行くときでさえ常に集団で行動していた。それも、制服を着崩して授業にもまともに出ていないような不良たちと。

ノリコは私のことを可哀想だと思っている。いつも誰かとつるんで行動するのが当たり前だと考えているから、独りきりでいる私のことを、不幸で助けてあげないといけない人だと、思いこんでいるのだ。ノリコの態度にそんな憐れみが見え隠れするようになってから、私は徐々に彼女と距離を置くようになったのかもしれない。
チャイムが鳴った。教室の扉が勢いよく開き、購買へ向かう生徒達が廊下に溢れる。 私は人の流れが落ち着くのを待ってから、静かに屋上へ向かった。

スダチくんは昨日と同じ場所に座りながら、弁当箱を広げていた。
屋上の景色は昨日と変わらないはずなのに、曇り空のせいかどこか寂しそうに見える。空を覆い尽くす灰色の雲は、所々にひびが入りささくれ立ったコンクリートの床と同じ色をしていた。
足元の砂を払ってからスダチくんの隣に座ると、私は膝の上で弁当箱を広げた。
昼食はいつも自分で作っている。今日は寝坊したせいで急いでいたから、冷凍のおかずをテキトーに温めて放り込んだだけ。詰め込んですぐに蓋をしたせいか、ご飯に水気が多く、底の方がおかゆのようになっていた。おかずもほとんどが崩れてしまっていて、あまり味を感じなかったが、空腹にはあらがえず飲み込むように食べ続けた。

「ハヤシさん、夜あまり眠れないの?」
「え、どうして?」
「授業中とかいつも寝てるから」
私は首をかしげた。スダチくんの言ったことは本当だし、実際には休憩時間でさえほとんど寝て過ごしているのだけれど、どうしてそれを知っているのだろう。
「僕は人間観察が趣味の一つなんだ。特に授業中の教室を覗くのは面白くて……こう、屋上からこっそりとね」

スダチくんはそう言いながら、フェンスによりかかるようにして向かい側の旧校舎を眺めた。今は使われていない建物だが、窓ガラスに私たちの教室の様子が、はっきりと映っている。
「隣の教室でいつも寝ている人がいるなぁと思っていたら、それがハヤシさんだったんだ」
「やだ……そんな盗み見るような真似ぞっとしないよ」
「それで、どうなの?」
口を尖らせてみたけれど、スダチくんは平然とした様子を崩さなかった。しかし私もスダチくんの行動が不快だった訳ではなく、だらしない普段の姿を見られてしまったという、恥ずかしさのほうが大きかった。

「とくに眠たい訳じゃないの。ただ、あまり目立ちたくなくて」
「いつも寝てる方が目立ちそうな気もするけど……」
「そうだよね。でも私の場合、先生たちも諦めてる感じだから、そんな風に相手にされていないくらいが居心地がいいの」
そうだ。私はできることならみんなの視界から消えてしまいたいんだ。ノリコみたいな人におせっかいを焼かれたり、上辺だけの仲間意識でいつも集団でいたり、そういうのは全くご免なんだ。

私はノートも大してとらないし、成績もあまり良くない。でも留年するほどバカって訳でもないから、先生たちからはただ冷めた目で見られている。
孤高を気取りたいって訳じゃなくて、どんな集団にも属すことができない私は、それくらいの扱いをされている方が、気持ちが楽なんだ。
「それじゃあ、僕がこういうことを聞くのも嫌だったりする?」

私はすぐに首を振りそうになったけれど、あえてゆっくりと口を開いた。
「……そんなことないよ。もしそうだったら、わざわざ屋上になんて来ないよ」
スダチくんはにこりともせずに立ち上がると、フェンスから離れて屋上の真ん中の辺りで、ごろんと仰向けになった。
床は砂が浮いていてあまり綺麗ではない。けれどスダチくんは、制服が汚れるのを気にする様子もなかった。まるで部屋の布団にでも寝転がるように、いたって自然に横になった。

「隣においでよ。そこだとフェンスが視界に入ってしまうだろう」
「でも、汚れちゃうよ」
「大丈夫。乾いているから、ちゃんと落ちるよ」
スダチくんが、顔だけをこちらに向けながら手招きする。私はしぶしぶと立ち上がると、スダチくんの隣に並ぶように、恐る恐る体を横たえた。
コンクリートのざらついた感触がした。曇っているせいか、空を見上げてもあまり眩しくはない。しばらくすると、床の熱が背中から染み込むように伝わってきて、大きな動物に抱えられているような気分になった。

「昨日まであんなに晴れていたのに、今日はどんよりだね」
「そうだね。でもこういう空も嫌いじゃないよ」
スダチくんはそう言って欠伸をした。私もつられそうになったが、先ほど「教室で伏しているのは眠いせいではない」と言ったことを思い出し、慌てて我慢した。
「空に落ちていくような感じ、今日もする?」
「どうだろう。昨日ほどではないかな」

「昨日図書室で調べてみたんだ。そしたらハヤシさんのように感じる人、珍しくないみたいだね。空やビルを見上げるのが、吸い込まれるようで怖いって人」
「そうなんだ。私だけじゃないんだ」
「僕も東京とか行ってビル群を散歩してみたら、ハヤシさんの気持ちが分かるかもしれない」
「空が嫌いになっちゃうかもよ」
「それは困ったな」

私たちはそれからも、ひたすら空を見続けていた。屋上の真ん中で、ろくに会話もせずに二人が仰向けに並んでいる。この奇妙な光景を知らない人が見たら、一体どう思うのだろう。突然先生が現れたら、一体どうなってしまうのだろう。そんなことを心配しつつも、私は家とも教室にいるときとも違う、不思議な安堵感を覚えていた。
雲が動いている、背中が暖かい、森のざわめきが風に乗ってやってくる。たったそれだけの今の時間が、たまらなく貴重なものに思えてくる。

「ハヤシさんて、音楽好きなの?」
「うん、好きだよ」
「プレーヤーいつも持っているよね」
「うん……あのさ、どうしてプレーヤーを取り返してくれたの?」
「え? 職員室で見かけたからだよ。ハヤシさんのだって覚えていたんだ」

「……そっか」
「いつも何を聴いているの?」
「…………」
「あ、言いたくないなら別にいいんだ。でも気になるな。そんなに好きな音楽って」
「普通の洋楽ロックだよ。聴いてみる?」
「うん。聴いてみたい」

スダチくんは驚いた様子も見せず、平然とうなずいた。私は体を起こすと、ポケットからカセットプレーヤーを取り出し、スイッチを入れて差し出した。スダチくんは横になったまま受け取ると、イヤフォンを耳に付けてぱっと表情を明るくさせた。
「わ、すごい! 思っていたのと違う。これはなんていうジャンル?」
「ネオクラシカルって呼ばれてる」
「クラシカル……。言われてみるとだけど、ちょっと分かる気がする。ロックにも色々あるんだね」
「どんなのを想像してたの?」
「ビートルズとかプレスリーとか、そういう感じ」

スダチくんの口からビートルズなんて言葉が出てくるのが、なんだか意外に思えた。
「なるほどね。でも、こっちだって悪くはないでしょ?」
「うん。それにこの人達は、たぶんすごく演奏がうまい。そんな気がする」
私は自分が褒められたような気がして、嬉しくなった。
「もう少し聴いていてもいい?」
「うん」
スダチくんは聴き入るように目をつむった。まるで料理を心から味わうような表情に、そんな聴き方もあるのだなと私は静かに納得した。

つづく

 

小説連載カテゴリの最新記事