これから夏が訪れる|09 完結

これから夏が訪れる|09 完結

スダチくんは用具入れからカバンを取り出すと、UFOの遺留品を、いつも私たちが儀式を行っている中央の辺りに置いた。向かい合って立つ。遺留品を間に挟んでいることを除けば、今までと何も変わりない。
「それじゃあ始めよう。いつもと同じように、僕の後に続いてくれればいいから」
「うん。分かった」

私は目をつむる。深呼吸をするスダチくんの息遣いが聞こえる。
「Ю★∥◆уДШя▽И●З¶…………」
「Ю★∥◆уДШя▽И●З¶…………」
私はいつからか、この謎の言葉をすっかり覚えていた。意味は分からなくとも、二人で繰り返しているうちに発音が頭に染みついてしまったのだ。
儀式はそれほど長くはかからず、一回がわずか数分で終わってしまう。口を開くほど、今の時間が終わりに近づいていく。

「……よし。目を開けて」
目の前には、空に視線を向けるスダチくんの姿があった。眉根に皺を寄せながら、せわしなくあちこちを見つめている。
「どう? 何か感じる?」
「いや……まったくだよ」

「そっか。少し休んでから、もう一度やってみよっか」
「いや、すぐにやろう。今日で間違いないんだ。だから次こそはきっと」
私たちはまた目を瞑ると、同じ手順で儀式を繰り返した。
風が声をさらうように、私たちの間を通り抜けていく。言葉を乗せた風はどこへ流れて行くのか。このきらめく夜空のどこかには、言葉を待っている異星人たちがいるのだろうか。

「ハヤシさん……」
私は驚いた。儀式の途中で名前を呼ばれるなんて、初めてのことだったからだ。目を開くと、スダチくんが両手で顔を覆っている。
「どうしたの?」
「ダメかもしれない……」
「そんな、どうして?」

「何も感じないんだ。昼間の儀式では、すぐに彼らの気配が漂ってくるんだけど、今は全然なんだ」
「でも今日は大事な日で、だからここまで来たんでしょう?」
「うん。今日の二十時から二十三時までの間、北緯三十八度線上の磁場と月の引力系が七年に一度、磁力線をシンクロさせるんだ。だから、いつもとは比較にならない純度でメッセージを放つことができる。それと大陸プレート間の圧均衡的にも最適で……」

「そ、それはさっ、一体どうやって調べたの?」
「月刊ムートンに書いてあったんだ」
「ムートンって……」

私はその場に崩れ落ちそうになった。ムートンと言えば、怪事件やスピリチュアルなど怪しげなネタばかりを取り扱った専門誌だ。今どき小学生でも見向きもしないような変てこな記事ばかり載せているのに、不思議とどこの書店にも新刊が並ぶ。このような本を一体誰が買うのかと思っていたが、まさかこんな身近に読者がいたとは。

「……まだ時間もあるし、少し休んでからもう一回やってみよう。焦る必要ないよ」
「そうだね。そうするよ」
私たちはいつもご飯を食べている辺りに腰を下ろした。空にはいつの間にかうっすらと雲が出ていて、月を淡く覆っている。遥か上空で、南から北へ勢いよく流れていく様子が、まるでなびくカーテンのようだった。

「暗くなっちゃったね」
「……そうだね」
「でもさっきまでは本当に綺麗だった。こんなに綺麗な月を見たのは、初めてかもってくらい。
ねえスダチくん。宇宙に出るとね、太陽に照らされていても、辺りは真っ暗なんだって。昼間にロケットに乗って飛ぶでしょ。そうするとさ、上昇するにつれてどんどん周りが暗くなっていくの。太陽に近づいているにも関わらず。どうしてだと思う?」

スダチくんが「えっ」という形に口を開いたまま私の方を向く。向き合ってもう一度質問を繰り返すと、スダチくんは床と空を交互に見つめながら「うーん」と声を漏らした。
「……地面や建物が光を反射しているから……かな」
「ちょっと惜しいかも」
「分からない。分からないよ」

私は空を見上げ、少しもったいぶるようにしてから口を開く。
「正解はね、空気が薄くなるから。昼間空が明るいのは、太陽の光が空気中の物質にぶつかって散乱しているからなの。だから空気が薄くなるにつれて周りは暗くなる。でも光が散乱しない分、太陽や星も地上よりずっと明るく見える。不思議だよね」
「そっか、そういうこと!」

スダチくんはつぶやくように解答を繰り返し、ひとりで何度もうなずいた。オカルト好きのスダチくんが私のなんてことはない雑学を、こんなに真面目に聞いてくれるなんて意外だった。
私たちはそれからしばらくの間、何も言わずに過ごした。
私は以前、「空を見ていると自分が小さな点になって落ちていくような気がする」とスダチくんに言った。青空の下でそれを考えるのは恐怖だが、不思議と夜空の下では怖くなかった。自分が点になるという想像は、星たちの間を泳ぎまわるという空想に変わり、なんだかロマンチックな雰囲気さえ漂う。

もし儀式が成功しなければ、また屋上でのUFO観測からやり直せばいい。七年に一度とかなんとか言っていたけれど、そういうのって何かと理由づけして年中やっているものだ。来年も再来年も、チャンスがあれば何度だって挑戦すればいい。スダチくんが飽きてしまったら、首に輪をかけてでも連れて来よう。こんな得体の知れない儀式に巻き込んでおいて、中途半端に終わりだなんて許さない。

「そろそろ始めようか。いつまでもこうしてはいられない」
「うん。もしうまくいかなくても、また来ればいいよ」
「……うん」
スダチくんは曖昧にうなずいた。失敗することは、どうしても考えたくないようだ。

私たちはまたUFOの遺留品を囲むように立つと、目を閉じて、タイミングを測るように同時に深呼吸をした。夜空を泳ぎ渡るイメージが加速する。
「それじゃあ、始めるよ」
「うん」
「Ю★∥◆уДШя▽И●З¶…………」
「Ю★∥◆уДШя▽И●З¶…………」

明滅する光の波に身をゆだねていると、星々の向こうにスダチくんの姿が見えた。スダチくんが振り向くと、私はそれを待っていたかのように手を伸ばす。するとまたたくうちに距離が縮まり、いつの間にか手を繋いでいた。
私たちは何も言わずに向き合うと、遥か先に輝く星雲を背景に、夜空の海で踊るようにステップを踏んだ。

「§яÅ▼→юπθё■…………」
「§яÅ▼→юπθё■…………」
ふと星の影から光が現れる。私は指をさして知らせようとするが、スダチくんは気づかないのか首を振るばかり。私は手を引きながら光に向かって飛んでいく。
「ёёД★∥⊇£жёёД≪℃&…………」
「ёёД★∥⊇£жёёД≪℃&…………」

光はみるみる巨大化し、辺り一面を白に染めていく。やがて体を揺さぶるような、ゴウンゴウンという重たい音が接近し、視界が光で覆われる。あまりに大きな音に、私は耳をふさぎながら思わず目を開いた。
「あっ、あっ、ス、スダチくん!」
私は目の前の信じられない光景に、口を開けたまま声を失った。スダチくんの向こうに、こうこうと光を放つ巨大な物体が浮遊していたのだ。
「ハヤシさん? まだ途中……」

スダチくんが怪訝な表情で目を開ける。しかし振り返るやいなや「ひっ」と悲鳴のような声をあげ、崩れそうになる体を支えるように一歩あとじさる。
それは単なるオブジェとも乗り物ともつかない、丸く平たい形状をしていた。表面は滑らかで、金属のようにもプラスチックのようにも見える。眩しいほど輝いているのに、どこにもライトらしき物がなく、まるで物体そのものが発光しているかのようだ。空中にぴたりと静止しているが、プロペラや噴出口なども見あたらない。

「スダチくん……これって……」
口が乾き、舌が張り付くようでうまく声を出せない。指さす手が震え、ひざががくがくと笑っている。状況を受け入れることができず、恐れとも喜びともつかない、異常な感情が頭の中に渦巻いている。

「……ああ。彼ら、異星人だよ。ついに現れてくれたんだ」
スダチくんはうなずきながら、噛みしめるようにゆっくりと言葉を発した。それは私に話しかけるというより、自らに言い聞かせて納得させるようだった。

スダチくんの隣に行こうと足を踏み出すと、耳鳴りに襲われ直後に奇妙な音が聞こえた。それは泡が水面に向かって上昇するような、あるいは体温をともなう生き物の鼓動のような、例えようのない不思議な音だった。耳を通じて聞こえるというより、頭の中に直接響くような感覚だった。
しかし抑揚があり適度に区切られていることから、意味を持った言語のようにも感じられる。

「……聞こえたかい? 彼らが呼んでいるんだ」
「今のが、異星人の声?」
「そう。『私たちを呼んだ目的はなにか』と聞いているんだ」
「それじゃあ」

「うん。彼らに、僕の願いを伝えに行ってくる」
「ま、待ってスダチくん……」
スダチくんはUFOを見上げながら、導かれるように歩き出す。フェンスの手前、UFOの下の辺りに立つと、どこからともなく霧のような光が降りそそぎ、次の瞬間、スダチくんの姿は跡形もなく消えていた。

私は頭を振って目を凝らしたが、状況は何も変わらない。まるで光のもとに躍り出た影のように、スダチくんは音もなく消えてしまった。
一人になった私は、ゴウンゴウンという音に包まれながら立ち尽くす。ふとUFOから目をそらすと、知らぬ間に手を組んでいることに気がついた。力が入りすぎているせいか、指が真っ白だ。

もしもスダチくんがこのまま戻ってこなかったら……そんなことを考えていると、突如目の前の空間がレンズを通したようにぐにゃりと歪み、スダチくんが姿を現した。
何を見せられようと、もはや驚く気はしない。スダチくんは地面を確かめるように、つま先で床をとんとんと鳴らすと、笑顔を浮かべながら顔を上げた。安らかで喜びに満ちた表情だ。しかし、スダチくんが消えていたのはほんのわずかな間。この短時間のうちに、一体なにがあったというのだろう。

「彼らは僕を歓迎してくれた。僕を、彼らの星に連れて行ってくれるって」
「うそ……だってあっという間だったじゃない。話す暇なんてなかったでしょう?」
「地上とUFOの中では、時間の流れ方が違うんだ。彼らは僕に、故郷であるウーツ星団第1089恒星系と、その文明の歴史を見せてくれた。とても想像が追いつかない、気が遠くなるような高度な文明を知ったよ。地球では誰も考えつかないような、すごい技術を持っているんだ」

「でも、そんなこと言ったって……」
「ハヤシさんのおかげだよ。ありがとう」
なにも言葉が出てこない。屋上で過ごした日々が、走馬灯のように頭の中を駆け巡る。
私はスダチくんのことをなにも知らない。話したかったことも聞いてもらいたかったことも、まだまだ数えきれないくらいある。それなのに、こんなに呆気なく終わってしまうなんて。

「…………」
「それじゃあ僕は行くね。協力してくれて本当にありがとう。ハヤシさんのことは忘れないよ。元気でね」
スダチくんはそう言うと、UFOをまっすぐに見すえて歩き出した。その背中は、いつもの風が吹いたら飛んでいってしまいそうな頼りない姿とは別人のようで、異星人に対する恐れも地球に対する未練も、まったく感じさせなかった。

スダチくんの体をおおうように光が降りそそぐ。振り返り、手をあげる姿がコマ送りのようにゆっくりと目に映る。次の瞬間、私は考える間もなく全力で走り出していた。
「待って! 私も連れて行って!」
シャツにしがみつきながら、すがるように叫ぶ。スダチくんの目が、こぼれそうなくらい大きく見開かれる。こんなに近くで顔を見るのは初めてだった。

直後、スダチくんは目をそらすと、私の肩の辺りで両手をさまよわせながら、おろおろと目を泳がせた。
「ハヤシさん……」
「私もウーツ星……彼らの星に行きたいの! お願いだから!」
「ハヤシさん……残念だけど、彼らは一人しか連れていけないと言っている」
「そんな……」

「どうして突然そんなことを言うんだい? 今まで一度も……」
「だって……だってスダチくん、もう地球に戻ってくる気なんてないんでしょう? もう二度と会えないんでしょう? そんなの嫌だよ」
「それは、そうかもしれないけど……でも、僕と会えないからって、どうしてそんなこと……」
「どうしてって……どうしてって、そんなの決まってるじゃない。スダチくんのことが……好きだからだよ!」
スダチくんは私に押されるようによろよろと後じさり、フェンスに背中を打ちつけた。下方から吹きつける風が、激しく髪をなびかせる。探るような目がまっすぐに私を見つめている。

「どうして僕なんかのことを? みんな変人と言って相手にしない、話だって聞かない。そんな僕なんかのことを……」
「分かんないよ、そんなこと聞かないでよ!」
私は叫びながら、飛び込むようにスダチくんの胸に顔を埋めた。激しい鼓動を感じたが、私のものなのかスダチくんのものなのかは分からない。
背中にそっと手が触れる。屋上に寝転がったときのように、体中がほんのりと熱に包まれる。私はスダチくんの枝のような体を抱きしめながら、遠ざかるUFOの音を聞いた。

#

 結局、スダチくんが異星人のもとへ旅立つことは叶わなかった。それは間違いなく私のせいだけれど、恨みごとを聞かされるようなことは一度もなく、たまに未練がましく空を見つめているときもあるけれど、たぶん私の思い過ごしだろう。

UFOが遠ざかったあと、警備員や消防団の人たちが駆けつけて、学校はちょっとした騒ぎになった。私たちは光と異音に関しては分からないで通したが、後日、夜間に侵入したことを先生たちにしこたま叱られ、両親に連絡までされてしまった。

私たちの一件から、屋上の扉は見るからに堅牢そうな金属製のものに交換され、ついでに職員室の鍵入れまで、ダイヤル錠付きの物に変わった。一体いくつ鍵をかければ気が済むのだろう? と思ったが、口にすればまた叱られるに違いないので黙っておいた。

屋上に行けなくなった私たちは、今では教室で一緒にご飯を食べている。最初こそ、変わり者同士が机を囲んでいるのがおかしいのか、ちらちらと視線を感じたり、噂されているのを耳にしたこともあったが、みんなすぐに飽きてしまったらしい。今では誰も気に留めることのない、日常の風景だ。

あのとき屋上に現れた巨大な浮遊物体が、本当に異星人のUFOだったのかは分からない。
スダチくんが撮ったUFOの写真は、あとから確認するとやっぱり、虫か何かが飛び込んだようにしか見えなかったし、田んぼに突如出現したミステリーサークルも、すぐに農家の人によって戻されてしまい、話題に上りさえしなかった。UFOの遺留品は燃えるゴミの日に捨てちゃったそうだし……。

あの頃はスダチくんに入れ込み過ぎていたのかもしれない。と、私は過去の自分を少し反省したりもした。スダチくんは相変わらず変人呼ばわりされ、私はノリコのおせっかいに手を焼いているが、そんなことはもう気にならない。スダチくんが近くにいてくれるだけで、些細なことなどすべて吹き飛んでしまうから。

「先生ったらまた話が長くて……あれ、まだ食べてなかったの?」
いつの間にか教室に来ていたスダチくんが、シャツをぱたぱたさせながら私の向かいに座る。スダチくんは「お腹すいて大変だよ」とつぶやきながらも、カバンからふせんの付いた観光ガイドブックを取り出すと、弁当そっちのけで机に広げた。

「来週から夏休みだろう。昨日ずっと調べてたんだ。綺麗な星空を見に行きたいと思って……」
今年の夏はきっと特別。
それはUFOや異星人ではなく、もっと近くて、もっと大切な――

おわり

 

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