モモと三つのお願い事 | 04 完結

モモと三つのお願い事 | 04 完結

「絶対に声とか出しちゃだめだからねっ」
廊下に誰もいないことを確認してから、私は手提げカバンに向かって声をかけた。中にはモモが入っている。今朝、どうしても学校に行ってみたいと言われ、仕方なく連れて来たのだ。
教室に入ると、ちょうど先生が出席を取り始める所だった。私は急いで席に着く。後ろの席のマナミちゃんが、すかさず肩を突いてくる。

「どうしたのショウコ? あんまり遅いから、休みかと思ったよ」
「寝坊しちゃって……」
遅刻ぎりぎりで登校するなんて、初めてのことだった。マナミちゃんは本気で心配しているようだが、私はモモのことで頭がいっぱいで、曖昧にごまかすことしかできなかった。
モモの入ったカバンは足元に置いていた。モモは言いつけどおり、授業中も休憩時間もずっとおとなしくしていたが、あまりに静かなので今度は違う意味で心配になってきた。

お昼休み、私は人がいないタイミングを狙ってトイレの個室に入った。
「モモ、大丈夫? 干からびてない?」
「ちょっと窮屈だね、ここは。それと、何か敷く物が欲しいな」
モモの様子は変わりなかった。私はポケットからハンカチを取り出すと、カバンの底に敷いた。

「快適快適! これで午後も楽しく過ごせそうだよ」
「ずっとカバンの中で、退屈じゃないの?」
「先生の話しとかみんなの会話とか、聞いているだけで面白いんだ。毎日来たいくらい」
「そ、そうなの? でも、それならよかった。毎日は困るかもだけど……」
廊下から足音が聞こえ、トイレの扉が開く。私は反射的に口をつぐみ、個室の隅でカバンをきつく抱えた。

「それなら駅ビルより、絶対モールフィルの方がいいよ! 靴とか帽子だって、かわいいお店いっぱいあるし……」
「帽子なんて、サノいくらでも持ってるじゃない」
「せっかくの遠足だもん。新しいの着て行きたいじゃん!」
トイレに現れたのは、サノちゃんとユリコちゃんだった。二人とも、個室の私の存在には気づいていないようだ。

「そう言えばソウマのやつ、先生に言われたらしいよ。係が決まってないの、うちらの班だけだって」
思わず身じろぎしそうになる。息を殺しながら、肩をきつく抱く。
「大丈夫だよ。来週のグループワークでなんとかなるって」
「正直さ、苦手なんだよね。ショウコさんみたいなタイプ。なに話していいか分からないし、うちらの事どう思ってるんだか……」
ユリコちゃんが、そう言ってため息をつく。

「……私がさ、ちゃんと話し合うべきだったよね。ショウコさんと」
「別にサノのせいだなんて言ってないよ」
「次はちゃんとするからさ、だからユリコも安心して。だってせっかくの遠足だもん!」
足音が遠ざかり、静寂が訪れる。扉に手をかけようとした時、カバンから声が聞こえた。

「ショウコ、待って!」
モモの言葉を遮るように廊下に出る。手洗い場に立つと、赤く腫れぼったい顔が鏡に映る。蛇口から勢いよく水を出し顔に浴びる。チャイムが鳴るまで、私は顔を洗い続けた。

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放課後、私は土手を歩いていた。まっすぐ帰る予定だったが、家が見えた途端に急に涙が溢れて来て、泣き顔を見られたくないがために、寄り道をしたのだ。
空はまだ明るいが、幸いなことに人通りは少なかった。時折ジャージ姿でジョギングしている人とすれ違ったが、そんな時は顔をうつむいてやり過ごした。

昼休みが終わってから、私はずっと遠足のことを考えていた。私はやはり、二班にとって迷惑な存在なのだ。みんなと仲良くする事なんて、できっこないのだ。それならいっそ、遠足なんてなくなってしまえばいい。
私はカバンからモモを抱き上げると、意を決して口を開いた。

「モモ。三つ目のお願い事、聞いてくれる?」
「もしかして、遠足を……」
「……うん」
「最後の願い事だよ。本当にそれでいいの?」
「うん。大丈夫」

「分かった。それじゃあ僕たちもこれでお別れだね。短い間だったけど、楽しかったよ」
私は首をかしげる。モモは突然なにを言い出すのだろう。
「どういうこと? お別れって……」
「やっぱり、知らなかったんだね。僕たちプリエーフロッグはね、願い事を三つ叶えると、力が尽きて死んでしまうんだ」
「そんな……モモ、死んじゃうの?」
「ごめん。もっと早く言っておくべきだった」

ぐらぐらと地面が揺れるような気がして、私はズボンが汚れるのも構わず、その場にへたり込んだ。そんなことは聞いていないと、悲鳴を上げそうになる。
しかし、骨董店のお爺さんは「彼らは願いの数だけ命を持っている」と言っていた。その時は気にも留めなかったが、まさかこんな意味があったとは。だとすれば、私はなんてくだらないことで、モモの命を削ってしまったのだろう。

「私、もうお願い事はやめる。モモが死んじゃうなんて嫌だよ。ずっと一緒にいたいよ」
「ショウコの気持ち、嬉しいよ。でもね、それはいけないことなんだ」
モモが力なく首を振る。
「……どうして?」

「命と引き換えに願いを叶えることは、僕たちの使命なんだ。だから、ショウコが願い事をしないと言うのなら、僕は他の願いを持つ者の所へ行かなければならない。でも僕は、他の誰よりも、ショウコの願いを叶えたい」
「だって、せっかくお友達になれたのに……」
「僕が死なないように、なんてお願いはしないでね。いくら僕でも、命まで操ることはできないから」
モモはそう言って笑った。私にはその姿が、雨に濡れたように滲んで見えた。

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週末。私はモモと電車に乗って、海に出かけた。波の音を聞きながら、砂浜を踏みしめながら、私は三つ目のお願い事を決めた。でもそれは、モモにはまだ内緒。心配をかけたままで、最後のお願い事をする訳にはいかないから。
帰りの電車。燃えるような夕陽が車内を照らしている。こくこくと頭を揺らしながら、眠たそうにするモモの姿は、まるで人間の男の子のようだった。

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「今日は最後のグループワークになります。当日に困ることが無いよう、もう一度、班の皆さんで計画表を見直してください」
今週の金曜日はついに遠足だ。どの班も待ちきれない様子で、やり取りに熱がこもっている。
しかし、二班だけは水を打ったように静かだった。誰も口を開こうとせず、計画表を眺めるばかりで、なかなか係分担の話しが出てこない。私は既に、みんなに忘れられてしまったのではないか。

沈黙に耐えきれなくなった私はノートを取り出すと、意味もなく計画表を写し始めた。じっとしたままでは、心が折れてしまいそうだった。
「ショウコさん、ノートすごい綺麗……」
顔を上げると、サノちゃんが身を乗り出しながら、私のノートを見つめていた。
「字、うまいんだねぇ。先生が書いたみたいだよ。なにか習ってるの?」

「お爺ちゃんが、書道の先生だから……」
「へえ、すごいね! リーダーも教えて貰えばいいのにー」
ソウマ君が困ったような顔でサノちゃんを見る。こんな表情を見たのは初めてだった。
「あの、私……よかったら記録係がやりたい」
ユリコちゃんが計画表から顔を上げ、サノちゃんが手を鳴らす。

「あっ、いいね! それじゃあ私が安全係で、役割分担は決定だね!」
「……それと、計画表。私が書き直してもいいかな?」
ソウマ君が顔の前で手を合わせながら、大げさに頷く。
「悪い! こいつら文句ばっかり言うくせに何もできやしなくて……本当助かるよ!」
サノちゃんがソウマ君に向かって頬を膨らませる。ユリコちゃんと目が合うと、私たちは一緒に声を上げて笑った。

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終業のチャイムと共に、私は勢いよく席から立ち上がる。
「あっ、ショウコもう帰っちゃうの?」
「ごめん! ちょっと用事があって」
「そっか。また明日ね!」
マナミちゃんに手を振りながら教室を出ると、私は土手に向かって駆け出した。

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「着いたよ、モモ」
土手の内側に降り、川べりで手提げカバンを開けると、モモがひっくり返るようにお腹を見せていた。
「あんまり揺れるんだもん、目が回っちゃったよ」
「あはは、ごめんごめん!」
川のせせらぎが響いている中、私はそっとモモを抱える。

「でもよかった。ちゃんと言えたね、ショウコ。まだ遠足は嫌かい?」
「ううん。今はとっても楽しみ」
「そっか。いい遠足になるといいね」
「ありがとう。ねえモモ……最後のお願い事、してもいい?」
「うん」

モモが私をゆっくりと見上げる。眼がきらきらと輝いている。
「ずっと友達だよ。ずっと忘れない」
「ショウコ……」
「モモを……普通のカエルにしてください」
モモの周りに、沢山の光の粒が舞い降りる。それらは波のように揺れながら、回転し、やがて小さな欠片となって、モモの体に吸い込まれていった。
「……モモ?」

モモはしばらくのあいだ胸の中でじっとしていたが、やがて草むらに向かって勢いよく飛び立つと、川の方に跳ねて行った。私は慌てて後を追ったが、すぐにその姿は見えなくなってしまった。
「モモ……元気で」
川瀬に広がる小さな波紋に向かって、私は呟くように口を開く。せせらぎだけが、変わることなく辺りを包んでいた。

おわり

 

 

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