もやしという野菜

もやしという野菜

 

野菜は好きだし、なんだか体によさそうだから毎日食べるようにしている。大抵は肉と一緒に炒めるのだが、みるみるかさが減っていくのが楽しくて、つい量を投下してしまう。フライパンから溢れるほどの大量の野菜を、火を通す事で簡単に食べ切れるようになるのだから、スーパーのお会計も忘れて特をした気分になる。

キャベツやほうれん草、小松菜など葉っぱものを買うことが多いが、ナスや玉ねぎ、ピーマンなども時折食べる。玉ねぎは火を通すと途端に食べられなくなるから、生のままスライサーで薄くしてドレッシングをかける。

料理なんて炒め物以外に作ることがないから、スライサーはすっかりオニオンサラダ専用機と化している。百貨店で1300円もしたのにもったいないな、とも思うのだけれど、だからと言って大して広くもないキッチンでは新たな料理を開拓する気もおきず、ひたすらオニオンスライスに従事させている。

それにしても、野菜を上下に動かすだけですぱすぱ薄切りができてしまうのだから、スライサーもかなりの切れ味だ。透けそうなくらい薄くなった野菜が、次々と皿に盛られていくのはなかなかの快感で、思わず勢いがついてしまうが気を抜いていると指をすっぱりいきそうになって血の気が引くことも。

火に油に刃物に、調理という行為には危険がつき物なのだと、スライサーを手にしたことにより、僕はようやくそんな当たり前に気がついた。

かつて料理人の友人が「仕事中に怪我をしても治す暇がないから、大抵は接着剤でねばしてしまう」と言っていて、軍用航空機に用いる素材開発中に偶然、瞬間接着剤の元となる物質が開発され、軍事医療に用いられるようになった。

という話を思い出したが、医療に用いられるのはもちろん人体に安全な原料で作られたもので、ホームセンターの数百円の製品が大丈夫なのかは知らないけれど、そういった使い方もできるのだとやけに感心してしまった。

デスマッチ系のプロレスラーやキャンパーにも愛用者がいるそうだから、その手の世界では割と知られた使い方なのかもしれないが、傷跡が残りそうだし真似したいとは思わない。

近頃僕は、健康系の情報サイトなどを見るのが趣味になりつつある。その中でよくよく目にするのが野菜の話題である。ちょっと検索してみるだけで、さまざまな噂話が出てくる。

「コンビニのカット野菜には栄養がない」「野菜ジュースをいくら飲んでも、野菜を食べたことにはならない」「熱を通すとビタミンが死ぬから、生のまま食べたほうがいい」などなど、よく考えてみれば分かりそうなものから、根拠がさだかでないような怪しげなものまで、いくらでも情報があふれている。

中でも僕が以前から疑問に思っていたことがある。それはもやしの栄養価についてだ。昔から僕の周りには「もやしには栄養がある」と言う人と、「もやしってほとんど水だから食べても意味ないよ」と言う人の2種類がいて、よくある「この世には2種類の人間がいる。もやし……」という状態だったのだが、どちらの意見が正しいのか未だに分からない。

僕は普段もやしを食べない。もやしと聞くと、パックサラダやレンチン弁当の嵩増しに用いられる天然素材という印象があり、「わざわざ買うなんてもったいない」と感じてしまうのだ。野菜中、群を抜いて安いにも関わらず。

そもそも、もやしという響きが頼りない。「もやし男」などという言い回しがあるせいなのかは分からないが、指ではじいたらぽっきりと折れてしまいそうな、かといってそんな儚さを讃えるような美しさもなく、同情心すら跳ね除けるような弱々しい雰囲気しかない。

透き通るような白い表皮は綺麗と言えなくもないけれど、カボチャやピーマンみたいに濃い色をしている方が、いかにも栄養がありますよ! みたいな食物としての威厳を感じさせる。甘くもすっぱくもなく、むしろ硬かったり苦かったりするような植物でも、がんばって食べてやろうという気持ちになるのは、そういった食べ物側の主張があるからじゃないか。

しかし、「キュウリは栄養(もしくはカロリー)が少ないあまり、ギネスブックに載っている」と聞いたことがある。色濃いのに。子供時代、お菓子を買ってもらえなかったため、キュウリに味噌をつけてポリポリかじるのが好きだった。そんな行為も意味がなかったのか、と思うと悲しい。

先日友人たちと飲み会があり、たらふく肉料理を食べてきた。レモンサワーはやけに薄く感じたけれど、味噌の絡んだ肉もやし炒めはおいしくて一人でほとんど食べてしまった。味を感じるのは舌だけではなく、歯茎に伝わる食感も大事なのだと、もやしのさりげない役割に感心した。

 

 

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