無職時代を振り返る|03

無職時代を振り返る|03

先述の通り、コンビニバイトに早々から嫌気がさしていた僕は、3ヶ月が経つ頃から転職活動を始めていた。しかし、フリー冊子やネットで求人情報を見ると、資格や経験が必要なものが多く、早くも心が折れそうになった。

自動車運転免許さえ持っておらず、営業職が務まるほどコミュニケーション能力に自信がなかった僕は、その時点でかなり選択肢が狭められた。

やりたい仕事はなく、やりたくない事ばかりが山ほどある。当たり前だ。できる事なら働きたくなんてないのだから。当時の僕はそう思いながら、しかしコンビニバイトを辞めたい一心で仕事を探した。

接客からも暫くは遠ざかりたいし、かといって今より収入は欲しいし……。そんな嫌々づくし条件に当てはまるのは、建築・内装などの職人、もしくは製造業だった。

職人は運転免許が必要な所が多く、どこも休みが異様に少なかった。紹介写真にはいかつい雰囲気の男性が多く、体育会系のノリがまっぴらな僕は消去法で製造業にたどり着いた。というかそれ一択だった。

近場で行われていた説明会に足を運び、2つの企業に目星をつけた。
最初の面接はすぐに行われたが結果は散々だった。いわゆる圧迫面接ぽい感じで、2人の面接官のうち1人は、荒っぽい態度でひたすら気だるそうに質問し、返答にはうなづきもしなかった。もう1人は終始ヘラヘラと馬鹿にするような態度で、同じくどんな返答も無視するばかりだった。いずれも中年男性である。

どんな意味があるのかは分からないが、家族全員の職業、年齢、生年月日、漢字を聞かれた。僕は生年月日が答えられなかった。日付を覚えることができず、家族親戚の誰1人知らなかったから。今もそう。

「すみません、覚えていません」と言うと、面接官はため息を漏らしながら30秒ほど無言になった。この時点で僕の合否は決定していたのだろう。後に中身のある質問はほとんどなかった。

次の面接は2週間後だった。最寄りから1つ隣の駅の近くにあり、通勤が楽なことが決め手だった。

前回の面接が嘘のように、落ち着いて受け答えをすることができた。面接官は僕のような新卒が来た事が疑問だったらしく、終盤「まっさらな君の経歴を汚したくないんだよ」と言った。

もちろん僕のことを考えての言葉だと思う。しかし製造業以外選択肢がなく、経歴なんてものに全く執着が無かった僕は「以前からモノづくりに興味があった」という感じの空熱意で、その場をしのいだ。

1週間後、合格の電話が鳴り、僕はその日のうちにコンビニオーナーに月末退職の旨を伝えた。入社直後「店長を目指してみない?」と笑顔で迫ってきたオーナーは、冷めきった口調で退職に関する書類を取りに来る日を伝えた。

入社初日。同期3人と現場となる工場を周りながら説明を受けた。施設内はフォークリフトや様々な機械・設備が常に動き回っている。「安全第一」という看板が掲げている通り、現場が最も恐れていることは従業員の怪我だ。万が一にも事が起こらないように、あらゆる注意説明を受けた。

ここで、後に大して出てこないにも関わらず、同期3人の紹介しておく。年齢は想像。

終末料理人(40代)
20年ほど料理人を務めてきた、色黒の長身男性。料理人を退職してから20年ぶりに週末に休むことができた。と言っており、面接の際にスーツがなくて困ったらしい。

元気メガネ(30前後)
表情と声が溌剌としており、いるだけで場の雰囲気が明るくなるような、ポジティブ感溢れまくりのナイスガイ。清潔感のあるパリッとした外見は、営業マンもしくはツッコミ役のお笑い芸人が似合いそう。

鬱夫(30半ば)
口数が極めて少なく、適性試験中に体調を崩して早退したがなぜか合格。常に下を向いていたため顔をよく覚えていない。

一通り工場内をめぐり、お昼ご飯の時間になった。同期3人は食堂で定食を注文し、僕だけが弁当だった。同じテーブルで食べたので、あれこれ話したと思うのだけれどよく覚えていない。たぶん8割くらい元気メガネが喋っていたと思う。

その日は説明の後に現場を見学して終わった。まれに翌日から来なくなる者もいるそうだが、4人ともちゃんと次の日に集まった。

同期がまとまって動いたのは初日だけで、翌日からそれぞれ部署に配属された。同期3人が同じところに集まったのに対し、僕だけが異なる部署だった。結果としてそれがもの凄くラッキーだったのだけれど、それを知るのは遥か2年後になる。

孤独感を抱えながら仕事がスタートしたが、歳の近い人が先輩で苦を感じることはなかった。仕事といっても基本的には設備を動かすだけだし、覚えることは色々あったが頭を使うような事はほとんどなかった。というか、いかに決められた手順通りミスなく行うか。

ということが製造業の最も重要視される部分らしく、生産量を保ちながら設備を動かす、というそれだけが求められる現場だった。

3班2交代制という勤務体系だった。これは5〜6人で形成された3つの班が、日勤と夜勤をローテーションするというもので、設備を24時間稼働させるための仕組みだ。例えば僕の現場の場合、下記のようになる。

月 日勤
火 日勤
水 日勤
木 日勤

金 休み
土 休み

日 夜勤
月 夜勤……

そのため休日は曜日が固定されず、6日おきに昼夜が逆転することになる。結局コンビニ夜勤と同じじゃないか。と思うかもしれないが、それは確かにその通り。しかし半分は夜間に眠れるようになり、休みも多くなったため不満に思うことはなかった。

僕の班はどういう訳だかイケメンが多かった。リーダーはミュージシャンとして活動しており、他にも音楽経験者の方が何人かいた。水商売やプログラマーを生業としていた人たちもいて、出身地も北海道から九州まで様々だった。

年齢は30〜40代が多く、僕が1番歳下で、20代は全ての班で僕を含めて2人だけだった。求人広告には作業着を着た女性が写っていたが、僕の現場には男性しかいなかった。

生産計画や設備メンテナンスの関係から、年末年始と夏には10日前後の休暇があった。給料は減るが、社会人になってからこんな連休に恵まれるとは思っていなかったため、それなりに嬉しかった。

休暇前には飲み会があった。当時僕は筋トレをしていて、身長171cmに対して体重が80kg近くあった。飲みの席だと決まってネタになり、普段話さないような人とも会話のきっかけになったりして、鍛えてて良かったこともあったなぁ〜、としみじみ思った。

こんな感じで淡々とした1人作業の仕事ながら、ときどき楽しい思いをしつつ工場勤務生活を送った。
時給は1,110円。ボーナスは年2回でどちらも4万円。当時は交際相手と同棲していたから、週末に外食したりたまに出かけるくらいの余裕はあって、人生の中でもかなり充実した期間だったと思う。

振り返ればあんな控えめな日々こそ、幸せというものだったんじゃないかと思う。失ってから気づくの通り、当時はその貴重さが分からず、それ故、いつか終わってしまうなどとは考えもしなかった。

つづく

 

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