無職時代を振り返る|04

無職時代を振り返る|04

勤務してから1年ほど経過した頃、左足首を怪我した。ランニング中に捻挫したことが原因で数日間猛烈に傷んだが、折れてはなさそうだし大したことないでしょ。と思った僕は病院に行かず、そのまま仕事も同じように続けた。

しかし半年ほど経過しても痛みが引かず、足首が一定角度より曲がらないため、いよいよ近所の整骨院にかかった。医師は最初「普通の捻挫でしょう」と言ったが「ちょっと待って半年前から痛みが引かない? MRIだ!」ということで、大病院に行くことになった。

当日。初めてということで少々緊張しながらMRI室に入った僕は、金属機器を外し、服を着替えて、寝台に横になった。看護師さんが「気分が悪くなったら押してください」と言ってボタンを渡し、別室に出て行く。

しばらくしてスピーカーから声で合図がかかると、いよいよMRIが動き出し、巨大なロールケーキの中に吸い込まれて行った。時間は15分くらいだったと思う。チャカポコチャカポコブーンブーン、という機械らしくない不思議な音が鳴り続けていた。

痛かったりビリビリしたらどうしよう。と不安になったがそんなことは一切なく、音さえ気にならなければ眠ってしまいそうだった。

費用は3割負担で1万円。つまり体の一箇所を見るだけで、1度に3万円以上かかる。領収書の数字におののきながらも大病院を後にした僕は、結果が郵送されるのを待ってから、最初にかかった整骨院を再度受診した。はずだったが面倒になってしまい、1ヶ月ほど経ってから受診した。

「足首奥の軟骨が崩れている。このままでは一生脚を引きずることになるよ。なぜすぐに来なかったの?」

離断整骨軟骨炎(リダンセイコツナンコツエン)という、市内で月に1件ある程度のそこそこ稀な怪我だった。治るのに時間がかかり、回復の兆しがなければ手術をしなければならない。

できるだけ動かないことが理想だが仕事を休む訳にもいかないため、サポーターを付けて様子を見て、1ヶ月後に再びMRIを撮って受診することになった。今頃になってようやく、やばいという意識が芽生えた。叱ってくれるいい先生だった。

会社に怪我の旨を伝えると、その時にちょうど発生していたデスクワーク業務に配属されることになった。デスクワークと言っても、製品を機械にかけて異常がないかチェックする、という極めて単調なもので、特に夜勤の際は眠気を我慢するのに苦労した。

デスクワーク要員として新たに人が雇われ、バイトで心霊写真を作っていたなど、面白い人との出会いもあったのだけれど、淡々とした仕事内容に変わりはなかった。

そうして1ヶ月ほど経過した頃、同棲していた交際相手に別れを切り出され、アパートを出ていかれた。交際から3年半、同棲から1年半が経過していた。

以前から度々ギスギスする事があり、この時も1週間ほど前からそうで「またやってしまったなぁ」という感じで、あまり気にしていなかった。そしてある日「アパートを契約した」と言われた。「家を出て行く気? それは別れるってこと?」と聞いたら、静かにうなずかれた。

思い返せば3年半の間、僕はあらゆることに対して身勝手に振る舞い、常に自分のことしか考えていなかった。1年半もよく同じ屋根の下に居続けてくれたなと、今になっては思う。

引っ越し日は1ヶ月後だった。別れを切り出されてから、お互い毒が抜けたように穏やかになり、ケンカなどもなく静かに過ごした。ご飯くらいは食べに出かけたかもしれないけれど、それ以外は一緒に外出することもなかった。

引っ越し当日、前日夜遅くまで荷造りを行なっていたせいで、眠気の残ったまま業者を迎えた。業者は女性2人だった。恐らく女性向けの賃貸・引っ越しサービスを、アパートの管理会社が紹介したのだろう。

細身にも関わらず、あっという間に荷物を運び出してしまった。本など重い荷物が多かったのに、さすがだと思った。最後にコンビニで買ったペットボトルのお茶を渡すと喜んでもらえた。

業者が帰り、少し話をしてから交際相手は出て行った。別れ際に泣いていたけれど、僕は枯れたような気持ちで涙が出なかった。

2週間ほど過ぎた頃、忘れ物を取りに1度だけアパートに来た。玄関で本とCDを渡し「ちょっと上がっていく?」と言ったが、笑顔で断られた。元気そうだった。

用が済むとすぐに帰り、それ以降LINE・SNSなどすべての連絡手段を断たれ、それが顔を見た最後になった。眠れなくなり、仕事に支障をきたすようになったのはその頃からだ。

つづく

 

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