無職時代を振り返る|05

無職時代を振り返る|05

3ヶ月ほどでデスクワーク業務が終了し、立ち仕事の現場に戻ることになった。心配になって病院に行ったが、先生が驚くほど骨が再生しており、次は1年後ということになった。行かなかったけれど。

デスクワーク要員の人たちは皆退職し、時間を巻き戻したかのように、以前と同じ生活に戻った。変わったことは、アパートに1人になったことだけだ。

暮らしは何も変わらなかった。6日ごとに昼夜逆転し、休日は近所のエスニック料理屋によく行った。ランチタイムに1000円で食べ放題をやっていたからだ。

唐揚げ、酢豚が好きで、いつも腹12分目まで食べ続けた。しかしいつの間にか食べ放題が終わってしまい(採算が合わなかったらしい)、以降はカレー屋、二郎系ラーメン店に足を運ぶことが多くなった。

卒業後も地域を離れなかったため、近所には4年になった後輩が住んでいて、家に呼んだり食べに出かけたりすることがあった。

アパートから徒歩1分の場所にファミリーマートができ、開店記念として福袋を販売したとき、友人らと買いに行った。一袋500円ほどで、オリジナルブランドを中心としたお菓子が600円分くらい入っていた。親子連れが多く、そこそこ売れていたんじゃないかと思う。

暑い日も寒い日もよく海に出かけた。特に泳いだりする訳ではなく、デッキや砂浜や堤防に座ってただ波の音を聞いて、寄せてはかえす海の景色を眺めていた。タバコでもくわえていれば様になったのかもしれないが、習慣のない僕はいつもただぼうっとしているだけだった。

湘南の浜辺は夏は海の家が建って活気付くが、冬でもランナーやサーファーがいて人が絶えることはない。天気さえ良ければ、日常の様々な出来事や嫌な記憶から距離を置いて、静かに過ごすことができる。海はこのような形で気兼ねなく安らげる、僕にとって唯一の場所だった。

しばしば釣りにも出かけた。初めて行ったのは卒業後まもなくで、駅前の100円ショップで竹製の釣竿を買って(取り扱いがあるのに驚いた)、海岸近くの釣具店でイソメ(魚の餌。ゴカイの一種で噛まれると痛い)を買い、堤防から糸を垂らす形で行った。

最初の釣果は覚えていない。けれどそれをきっかけに以降頻繁に通うようになったため、思いのほか釣れたのかもしれない。
初めのうちは友人と予定を合わせて向かうことが多かったが、次第にひとりで行くようになった。朝早く出て餌がなくなるまで、昼過ぎから時には夕方くらいまで堤防にいた。

週に2〜3度足を運ぶこともあり、釣り具屋のおばちゃんとはすっかり顔なじみになった。それでもリールなどを買ったことはなく、もっぱら100円の釣り竿で糸を垂らしていた。

あるとき1匹しか釣れない日があった。帰りがけに釣具屋の前を通るとおばちゃんに尋ねられ、釣果を伝えると「きっと針が大きいせいよ。これ使ってみなさい!」と言われ、小さめの釣り針を渡された。

おばちゃんの読みは正解だった。使い始めてから安定して4〜5匹釣れるようになり、調子のいい日は10匹近く釣れた。(針が小さいため、どれも手のひらサイズだったけれど)

最高記録は14匹。10月、朝7時ごろから始めた日で午前中から入れ食い状態だった。よく見るシマダイ、カワハギ以外にも名前の分からない魚が色々釣れた。嬉しかったため自慢して回った。

釣った魚は残らず夕食にした。内臓だけ取り、醤油、みりんに漬けて片栗粉をまぶし、そのままの姿でフライパンで揚げる。おてがる魚フライだ。バカ舌のため種による味の違いは分からなかったが、ご飯が何杯でもすすむほど美味だった。

自給自足の満足感は、魚屋さんや飲食店では決して味わえないと思った。エサ代が毎度500円かかっているため、金銭的にはマイナスかもしれないが。

そんな訳で海を眺めたり釣りをしたりラーメンを食ったりしながら、気ままに過ごす日々が半年ほど続いた。金銭的余裕さえなかったが、仕事も順調だったと思う。

職場はずっと居心地が良かった。年齢が1番下で立場的にも新人だったからだ。僕は人の上に立って指示を出したり、まとめたりすることが絶望的にできない。そのような立場に立たされると動悸がして、自分の事さえままならなくなってしまうほど気が小さい。

だから自ら考えることなく指示を受けるだけでいい、しかも機械を決められた手順で動かすだけのルーチン作業である仕事は、昼夜逆転を除けば辛いことは何もなかった。

……はずなのだが先にも述べた通り、時は流れ続け人も環境も移り変わっていく。入社2年後に異動を言い渡されたことをきっかけに、瞬く間に製造業から足を洗うことになる。

つづく

 

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