センスを磨く方法はたったひとつ! その理由とは……

センスを磨く方法はたったひとつ! その理由とは……

※ここではモノづくりに対するセンスについて思ったことを述べています。

センスという言葉をよく耳にする。センスが良いとか悪いとか、言動や作品や体の動かし方など、人の様々な行いに対して向けられる。

僕も使ったことはあるけれど、意味を聞かれると即答できない。単なる好き・嫌いとは違うように感じるし、上手・下手と置き換えるのも違和感がある。

センスはセンスなんだよ、としか説明ができないのがもどかしい。そこで辞書で検索してみた。すると下のように出てくる。

センス【sense】の意味

1 物事の感じや味わいを微妙な点まで悟る働き。感覚。また、それが具体的に表現されたもの。「文学的なセンスがある」「センスのよくない服装」「バッティングセンス」
2 判断力。思慮。良識。「社会人としてのセンスを問われる」

参照:goo辞書 出展:デジタル大辞林

なるほどなるほど。なんとなく抱いていた意味合いと、それほどズレてはいなかったので安心した。

そういえば、シックスセンスという映画が10年くらい前にあって、第6感という意味だったなぁと思い出した。知ってるじゃん!

 

センスと上手・下手の違い

好き・嫌い、良い・悪いというのは自分が抱いた感想だ。センスというのは、そこから離れて他人の内面を評価するような言葉だと思う。では上手・下手との違いはなんだろう。

「上手だねぇ~!」「うまいなー!」などと言っている人を見ると、褒めているということが分かる。一方「センスあるね!」だと、褒めている気はするけれど、ちょっと上からというか立場の違いを意識して言っているような気がする。例えばベテランの画家が美大生の作品を見て「君はセンスがある。その調子で続けるといいよ」みたいな。

つまり、感情と直結して自然にあふれてくる言葉が、うまい・へたなのであって、一歩距離を置いて人の感覚や感性を評価する言葉が、センスなのだと思う。

だから、例えば僕が写真を発表して、それに対して「下手だね」と言われたら「構図が悪かっただろうか、カメラの設定がおかしかっただろうか、テーマにそぐわないものが写っている? それともタイトルが変?」などと考える。そして作品のよくないところが見つかれば、場合によっては次から直していこうと反省したりする。

しかしそこで「センスないなぁ~」と言われたら、もっとずっと傷つく。それは作品に対する感想ではなくて、僕自身に対する評価のように感じるから。場合によってはちょっとムカついたりするかもしれないし、真剣に受け止めたって改善点を見つけるのは難しい。

まあ、面と向かって「センスない」なんて言われたのは、中学生の時、しまむらでコーディネート決めた服装くらいなものなので、普通は本人に向かって発する言葉ではないと思うのだけれど。

 

センスの不思議なところ

ではどうすれば、そのセンスとやらを高められるのか。

技術と言うものは1万時間の法則(正否は置いておくとして)などと言われるように、ある程度は練習した時間と効率に比例するものだ。この練習の部分をセンスに置き換えると、それはインプットなのではないか。様々な価値観や作品に触れて、経験によって自分が作られるのと同時に育つのがセンスだと思うから。

しかし技術と決定的に違い、不思議で仕方がない点がある。それは、インプット量が多ければセンスも高まる、訳ではないということだ。

これは統計を取って調べたという訳ではなくて、同人活動を行いながら、似たようなジャンルで活動する作家やモノづくりを行う友人などを見ていて思ったことだ。

ジャンルを問わず様々な作品をたしなみ、話題や経験が豊富。つまりインプット量が多い人間でも、いざ作品をつくってみると明らかに技術もへったくれもないヘンテコな物だったりする。

問題は技術が足りないとか、ヘンテコな作品を制作・発表したことではなく、それに対して本人が非常に満足しているということだ。インプットを重ねて、恐らくは目指しているのだろう作品(感動的な映画や息をのむような絵画など)とは似ても似つかないにもかかわらず、自分の制作物にとても満足している。

それは「やっと完成した! 苦難に満ちた制作をやりきったぞー!」という感動が含まれているのかもしれないけれど、「作者である本人だけが “作品を本気でいい物” だと信じている」という状況が多々ある。そして大抵は、時間をおいてから後悔する。それが翌日か数年後かは人によるけれど、時間が客観的な視点を取り戻してくれるのだ。

一方、芸術を鑑賞する趣味がなかったり、内向的で常識知らずに見える人が「センスがある」と周囲から評価されることもある。

ますますセンスというものが分からなくなってくる。意図的に形成されるものではないから、本人に聞いたところでセンスの出どころなんて分からないだろう。まったく僕みたいなのはここで置いてきぼりを食らってしまうのだ。

しかし、制作活動を続けて周囲の人が変化する様子を見ているうちに、たったひとつ、センスを磨く方法に間違いない。と確信したことがある。それを次にまとめる。

 

センスを磨く唯一の方法

センスを磨いて育てるには、なにより自分を客観視することが大切なのだと思う。だからモノづくりを行う上では、下記の手順がただひとつの方法だと思う。

1、納得のいく作品を完成させる

2、達成感のあるうちに公開する
SNS・個人サイト・ブログなどなど

3、後から見直す
良い、悪いと言った意見は気にしないで、反応があったことだけを喜ぶ。

4、改善したい点に気が付く
時間を経るごとに作品のアラが見えてくる。場合によっては恥ずかしくなったり、後悔したりする。その感覚を忘れない。

5、反省点を活かして、新たな作品制作を行う。1に戻る。

1番大事な点は “1” の作品を完成させるということだ。やり直しが効くような状態で次に進んでしまうと、後のステップで言い訳の余地が生まれてしまう。それにセンスとは「これで完成だ!」という、納得する瞬間に最も発揮されると思うからだ。

次に大事な点は “4” だ。小説家やライターの人が「できあがった文章は、1週間くらい寝かせてから読み返した方がいい」と言うように、書いた時には傑作だと思っていたものが、次の日に見たら目も当てられないようなシロモノだった。なんてことはよくある話。

でもこれは全く悪いことではなくて、その瞬間にこそセンスが育っているのだと僕は考えている。

知識や今まで見てきた作品の数、なんてものは自分が物を作ることとは関係がないのだ。物作りのセンスは、物作りの中でしか磨くことはできない。だから、公開することによってプレッシャーをもたらし、自作品を客観視する力をつかむ。それを次の作品制作に活かす。という順序が、最も確実で効率のいい方法なのだと思う。

 

まとめ

ここで書いたセンスとは、物作りに対するセンスのことだ。

同じセンスという言葉でも、スポーツとか経営とか話術とか、場面が変われば違う意味になるかもしれないし、僕の意見がまったく通用しないかもしれない。しかしテキトウに書いたわけではないので、物作りを行ってきた人たちにとっては、何かしら共感してもらえるのではないかと思っている。

最後に要点だけまとめておくよ!

・センスがある・ないとは、人の内面を評価していることである

・センスの良さは “インプット量” に関係がない

・センスとは、制作物に納得し完成させる瞬間に最も発揮される

・作品を後から見返してアラや欠点を感じたその時、センスが磨かれている

・センスを磨く唯一の方法は、完成した作品を公開し、後から改善点に気が付き、次の制作に活かすこと

それではまたー!

 

 

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