同性愛のおじいちゃんに森に連れ込まれた話

同性愛のおじいちゃんに森に連れ込まれた話

学生時代と社会人の数年間、神奈川県の湘南地域に住んでいた。何度か引越しをしたが、いずれも歩いて海に行ける距離で、暇をみつけては眺めに行っていた。泳いだり活気付いた夏場にウェイったりする訳でもなく、ただぼーっと浜辺や堤防でたたずんでいるのが好きだった。

そんな訳で地元茨城に戻ってからも年に何度か、友人に会ったり当時のアルバイト先の同僚たちと飲み会などで、湘南に行くことがあった。昨年11月ごろ、僕はふと海に行きたくなった。休日だし、珍しく寝起きもいいし、いっちょ神奈川行っちゃうかぁ~。と訳わからんテンションに任せて家を出た。

当時はニートからサラリーマンに復帰した直後で阿佐ヶ谷に住んでいた。湘南、茅ヶ崎までは電車で約1時間30分。通勤時間が30分ほどだった僕からすると小旅行気分だ。お気に入りの本を片手に茅ヶ崎に降り立つと、真っ青な空と潮風に迎えられて…ではなくその日は曇りだったのだけれど、構わず僕は歩き出した。

駅から海岸までは15分ほど。歩いているだけで懐かしさに涙が出そうになる。冬に入りかけたサザンビーチは肌寒かった。波の音を聞きながら、サーファーを横目に適当なデッキに腰掛け本を開く。

「海が好きなのか」
30分ほど過ぎた頃、突然横から声をかけられた。慌てて見やると、中年と老齢の間くらいのおじいちゃんが立っていた。
「好きですよ」
「そうか。どこに住んでるんだ、藤沢か?」
「東京です。遊びに来たんです」
「おれはずっと藤沢にいるんだ。休みの日はこうして海に出ると、いろんなやつに会う。なんだ、読んでるの。小説か?」

そんな感じ10分ほど身の上話をした。おじいちゃんは見るからに汚かった。白髪だらけの頭は干ばつした大地のようで、しわの深い顔は垢が厚く重なり、赤黒くひび割れ不潔な光沢を放っていた。見ている方が寒くなるような薄着で、小柄な体型がより一層それを際立たせていた。

おじいちゃんは時折、言葉を詰まらせたように無言になった。なんだか時間を気にしているような、初デートで待ち合わせ場所に早く到着してソワソワを隠せないような、そんな感じなのだ。側から見ればこの時点で怪しさプンプンなのかもしれないが、僕にはそんな姿がやけに寂しそうに目に映った。

独り身の孤独を紛らわすために海に来ているのかも知れない。波の音を聞いて過去に想いを馳せているのかも知れない。不信感がなかった訳ではないけれど、そんな同情心が芽生えた僕はおじいちゃんの話に頷き続けた。

「君みたいなかわいい子を待っていたんだよ」
「???」
顔には出さなかったが思わず言葉を繰り返しそうになった。何の脈絡も流れもなく、しばしの沈黙の後に唐突に言われたから。かわいいなんて言われたことがないし、当時27歳の僕がそう見えるのであれば色々と心配な気もするけれど、孫の面影が重なったとかそんな所だろう。と勝手に納得した僕は曖昧に聞き流した。

「歩かないか」
「はあ。いいですよ」
すっかり読書どころではなくなっていたので、素直に本を畳んで立ち上がった。おじいちゃんの寂しさが癒えるというのなら、散歩くらい付き合ったっていいだろう。

浜辺を並んで歩いた。急に口数が少なくなったのが不思議だったが、波の音が響き渡る曇り空の下、見知らぬ老人と浜を歩く。というのはなんだか文学的な感じがして、タイトルは何がふさわしいだろうか。などと僕は無言で考えていた。

浜の向こうには防風林があり、ちょっとした森のようになっている。海岸に沿って国道があり、浜と道路の間を挟むように沢山の木が植えられているのだ。おじいちゃんはどうやら防風林の方に向かっているらしい。

違和感を覚えたが口には出さなかった。気持ち距離を置いて後ろをついていく。フェンスをくぐり防風林の中に足を踏み入れる。歩道があり難なく移動できるようにはなっているが、ただでさえ光が届きにくいところだ。天気の影響かいつにもまして薄暗く、波の音が幽かに聞こえるだけで、浜も道路も通行人の姿も見えない。完全な二人きりだ。

おじいちゃんは無言のままズンズカ進んでいく。どうやら最初から目的地が決まっていたらしい。怖くなってきたなぁ、どうしよう……。と不安を抱きつつも、興味を捨てきれない僕は何も言わずに後に続く。

そのまま5分ほど歩くと、小さな開けた場所に出た。上部に枝葉が伸びていないため、光が差して明るい。しかし周囲は密生した草木に覆われ、視界が狭く外の目も届かない。隠れて何かを行うには絶好の場所だった。

「こういう所で、選びあった男同士が乳繰り合ったり……」
「すみません、そういう気は無いので……」
僕は右回れしてすぐさまそこを出た。防風林に入った時点でかなり期待させてしまっていたのだろう。ほんの少し気の毒な気もしたが、僕はなるべく振り返らずに早足で外を目指した。浜に出て振り返ると、おじいちゃんが笑顔を浮かべながら口を開く。

「湘南ではああいう場所で、男同士がくっついたり離れたり認めあうんだ。お兄ちゃんも湘南の男なら、覚えておかなくちゃダメだよ」
いつの間にか湘南の男にされていたことに慄きつつも、右手を差し出されたのでおずおずと握手を交わした。「また会おう」と言われたので、目礼だけして早々に海岸を離れた。ひび割れた手の感触はよく覚えていない。

後日、神奈川育ちの湘南男である友人にこの話をしたら「湘南の男なら覚えておけって、そんな訳ないだろ!」と激怒された。どうやらそのような不文律やしきたりはないため、無防備で鈍すぎる僕が招いたアホエピソードだと思って、一切気ににせず湘南に遊びに来てほしい。

そもそも僕が同性愛者だったとして、好みだってあるし見るからに不潔極まりない老人を相手にすることはないと思う。同じ欲望を抱いていても、相手が同性か異性かでは法的な基準が異なるゆえか、やけに積極的な同性愛者の話は珍しくない。

今回の防風林のスペースも、いわゆるハッテン場のような土地だったのかもしれないが、そういったモラルの低さには甚だ嫌悪感が湧く。それにしても、今回は小柄なおじいちゃんだったから良かったものの、強引なゴリマッチョだったらと思うと本当に恐ろしい。

あのおじいちゃんは、今も湘南のビーチで若い男性に声をかけ続けているのだろうか。顔を思い起こそうとしても、記憶に浮かぶのは垢の詰まった顔面のシワばかりだ。

 

 

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