肉体を抜け出し精神だけの存在になったとき、人はどうなるのか

肉体を抜け出し精神だけの存在になったとき、人はどうなるのか

 

下記記事で肉体を持つことの不便さと、精神だけの存在になることへの憧れを書いた。そこで今回は、肉体を捨てることによってどのような変化が起こるか、述べることにした。

体って本当に不便

精神だけになる、というのは果たしてどのような状況がもたらすのか。それはデジタルネイチャーが浸透し電脳化が実現され、コンピュータと生き物の区別がほとんどなくなった世界かもしれないし、死後肉体から魂が抜け出し、自然に迎えることになる現象なのかもしれない。

世の中には様々な人がいる。人は外部情報の70~80%を視覚から得ると言われているように、他人を外見で判断する。また外見を理由に興味を惹かれたりする。物々しい刺青をしている人から離れたり、すれ違った美人に振り向いたり。

そういった外見で判断することが当たり前に起こっているから、見た目が性格に影響を及ぼすこともあると思う。外見や性別によって幼いころから扱われ方が異なるのだとしたら、当たり前のことだ。

肉体の個性というと、容姿や体型が真っ先に浮かぶ。しかし僕は、性格や能力さえ肉体がもたらす個性なのではないかと考える。性格に関しては前述した通りで、生まれ持った気性と生育環境が互いに作用しながら形成される。

では能力はどうか。例えば楽器をうまく演奏したい。という人並みならぬ情熱から、何年にも渡って毎日長時間練習し、結果演奏家として認められるほどに成長した。これは能力には違いないが、後天的に獲得した物であり、楽器演奏に対して抜きんでるほど興味を抱いた、という性格がもたらしたものだ。

このような情熱と努力がもたらす技能も多いとは思うが、天才と呼ばれる人たちがいるように、生まれ持った能力という超えられない壁があることも間違いない。1万時間の法則などという言葉が使われたりするが、同じ時間同じ内容の練習を重ねたとしても、吸収するスピードや再現率、応用力などには必ず差が出るはずだ。

サヴァン症候群と呼ばれる人たちがいる。僕が以前テレビで見たのは、知的障害を持っているが一度見た景色を記憶し、寸分の狂いなく紙面上に書き写してしまう。というものだった。彼は能力を身につけるべく練習を重ねてきたわけではないし、普通の人間が努力をした所で追いつくのは無理だろう。

また知的能力を示すIQと呼ばれる数値も、50%以上が遺伝によって決定されてしまうと言われているから、やはり生まれ持った能力というのは存在する。そしてそれは脳の構造や発達が違うという事であり、肉体の個性に他ならない。

だとすれば、体をなくして精神だけになったとき、人は外見という判断の指標を失い、あらゆる能力さえ均一になるのではないか。様々な要因によって培われてきた性格、感性だけの存在となり、純粋なその人が見られるのではないか。

このように考えるとなんだか素敵な気もするが、様々な不安もある。

例えば生命の自然な歩みとして、死後精神体へと変貌を遂げるのであれば、その時世界はどのように見えるのか。

僕たちは世界のありのままの姿を見ている訳ではない。様々な刺激を感覚器官が電気信号に変換し、それらを元に脳が世界を認識している。立体視や錯視などで示される通り、脳は結構いいかげんだ。

つまり、目に映った通りに世界が存在している、なんて保証はどこにもないのだ。同じ景色を見て、音楽を聴いて、誰かと感動を共有することもあるかもしれないが、他人にどのように刺激が届いているかなんて、知りようがないのだ。

僕たちは世界を3次元として認識している。それは僕らが3次元の存在だからだ。2次元世界の住人は3次元を認識できないらしい。つまり僕らは、4次元とか5次元とかの重なりがあったとしても、それを認識することができないのだ。

肉体から抜け出し精神だけの存在になった時、恐らく世界は今まで見てきたものとは全く違うものになるのだと思う。僕は死後の世界を信じてはいないけれど、もしあるのだとしたら以上の理由からとても楽しみだ。

では科学技術が発達し、精神をコンピュータ上にアップロードできるようになったとしたらどうだろう。その場合、今の世界の認識とあまり違いがないのではないかと考えている。

その理由は、精神アップロードが世界をコンピュータ上に再現する、最後の段階で行われると思っているから。まず僕らが認識している3次元世界を、コンピュータ上に箱庭ゲームのように作り上げる。次に精神を組み込むための肉体を、その世界に設置する。そして精神データをデジタル化された体へ送信する。

こうしてデジタル上で目を覚ましても、感じる世界はほとんど変わらないはずだ。

なんだか夢のない未来予想だ。それに現実と差がないのだとしたら、今生きている世界が仮想世界だとしてもおかしくはない訳で、映画マトリックス(1が好き)を思い出す。

精神や意識というものは、どうして存在するのだろう。どこか遠くに意識だけが漂うような世界があって、そこから抜け出した精神体が肉体に宿ることによって、この3次元世界に生を受けるのかもしれない。

もしくは、肉体を生かすために意識が不可欠で、脳がもたらす機能のひとつとして発生するものなのかもしれない。

僕はどちらかというと後者の考えだが、肉体のために精神が必要な理由が分からないため、前者が正解だったとしてもおかしくはないと思っている。

いつか答えが分かるとき、それは生きている時かもしれないし死んだ後かもしれないけれど、世界がどう見えようと自分だけは変わらないでいたいと思う。

 

 

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