夕焼けを見るとたまらなく寂しくなる

夕焼けを見るとたまらなく寂しくなる

 

幼い頃は映画が好きで、祖父がビデオテープに撮りためた金曜ロードショーを、飽きるまで繰り返し観ていた。邦画にはあまり興味がなく、ドラマもバラエティー番組もほとんど見なかった。しかし世界丸見えや、NHKの自然特集なんかは好きで、そんな時だけテレビを点けていた。

基本的には、筋肉男が鉄砲を撃ちまくったり怪獣が暴れたり、そんなシーンが好きだった。悪い奴らが次々殺されていくのが、まるでゲームのように爽快で、外国にはこんなに強い人がいるのだと、本気で信じていた。

しかし何度見ても慣れない、どうしても苦手なシーンがあった。それが夕焼けだ。
海に太陽が沈んでいく、空が真っ赤に染まる、影が長く伸びていく……。表現は様々だけれど、橙から赤にグラデーションを描いていく空を見ると、それだけで異様に寂しい気持ちに襲われる。

まるで、永遠と信じていた楽しくて仕方のない時間に、唐突に終わりを告げられるような、そんなずっしりとした物悲しさを感じてしまう。

しかしそれは、友人と別れる時や旅行から帰る時、夏休みの最終日のような、そういった寂しさとはまた違う感覚なのだ。言葉では説明が難しいけれど、表面的な感情ではなく心の奥底の琴線に触れるような、そんなじんわりとした強烈な感覚。

理由はよく分からない。映画の残り時間とか、ストーリーの流れとか、そういったものは関係がない。物語の中盤だろうと思いっきり楽しいシーンだろうと、僕の気持ちは同じように揺らいでしまう。

燃えるような太陽、真っ赤な空。照明ができてからこそ、人は昼も夜も関係なく活動できるようになったけれど、それより以前は暗くなったら眠ることしかできなかった。

いつの時代の話だよって感じだけれど、ちょっと当時のことを想像してみる。
暗くなりかけの時は貴重な時間だ。活動を終えて寝ぐらに帰る。動き回っていた頭がクールダウンし、1日を冷静に振り返る。獲物を追っている時には気づかなかった、様々な反省点が見えてくるかもしれない。そして何より暗闇への恐怖。襲われはしないか、奪われはしないか、無事に明日目を覚ますことができるだろうか……。

そんな夜への不安を呼び覚ますもの、それが夕陽であり、太古からの習慣が遺伝子的な何かに染み付いている。画面越しの夕陽がもたらす感情は、時代を超えて引き継がれてきた恐れや不安ではないか。そんなに大げさなことを言わなくても、単に門限があった子供の頃、夕陽を見て解散していた記憶などが関係しているかもしれないけれど。

どんな場面でも気持ちが揺らいでしまうのは困るけれど、だからと言って絶対避けたいほど嫌な訳ではない。夕焼けシーンが切り替わると、涙を流した後にすっきりするような、毒気が抜かれて気持ちが落ち着くような、しっとりとした爽快感があるからだ。

認知症の行動の1つに、夕焼け症候群と呼ばれるものがあるそうだ。病院や施設、もしくは自分の家にいるにも関わらず「家に帰る」と言って、荷物をまとめたり外を徘徊したりする。夕方の時間帯に症状が出ることが多いため、このように呼ばれている。

原因としては、夕方の「これから忙しくなる」という記憶がそわそわさせる、辺りが暗くなってくることによる不安、などがあげられる。

僕は彼らに共感を覚えずにはいられない。この2つの原因以外にも、子供の頃の記憶が影響しているように思うから。長年にわたり染みついた習慣や幼少期の記憶と言うのは、ふとした時に呼び戻される。それが僕の場合は画面越しの夕陽で、夕焼け症候群の方の場合は現実の日暮れということなのだろう。

ここ数年は昔ほど寂しさを感じることはなくなったけれど、それはそれで昔を忘れてしまったような虚しさがある。

思い返せば、現実で美しい夕焼けを見たのはいつになるだろう。覚えているのは神奈川に住んでいた頃だから、5年近く前になるのではないか。マンションの上階から眺めた、赤紫色に染まる空。当時の交際相手と並んで、記憶に焼き付けるように物言わず眺め続けた。

あまり記憶を深掘りすると落ち込みそうなので、この辺りですっぱりやめておく。
そのうち夕焼けを撮りに行こう。千葉県木更津の江川海岸なんていいかもしれない。カメラに連れられるに任せて。

 

 

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