テクノロジーの進歩に感じる不安

テクノロジーの進歩に感じる不安

 

タイトルから誤解を招きそうだけれど、テクノロジーの批判をする気は全然ない。むしろ世の中どんどん便利になって、ゆくゆくは怪我も病も寿命もない電脳化の世界になってほしい。とさえ思っている。

僕は今、スマートフォンのEvernoteアプリから文章を打ち込んでいる。パソコンやネットは学生の頃から触れない日が珍しいくらいだし、iPadやWiFiルーターだって使う。VRやARなどにも、なんの略かはイマイチ分からないけれど、人並みに興味は抱いている。

そんな感じで、特に違和感もなくテクノロジーの恩恵は受けて来た訳だけれど、時折ぼんやりとした不安を感じずにはいられない。

それはテクノロジーが人間を怠けさせるとかそういうことではなくて、技術の進化に人類全体の知識量が追いつかず、テクノロジーが生活の根幹をなしているにも関わらず、原理や仕組みを誰ひとり知らない。そんな世界が来てしまうような気がするからだ。

メディアアーティストの落合陽一さんは、しばしば科学技術を魔法と呼んでいる。魔法というとファンタジックなイメージがつきまとい、科学とは対極的に扱われることが一般的だ。

しかし、例えばステッキを振ると火が出る魔法と、ボタンを押すと火を吹き出す装置。どちらも原理が分からなければ同じではないか。

僕らは毎日のようにスマートフォンを持ち、便利に使いこなしている。しかし世界にはボタンを押して、モニターが光るだけで魔法だと感動する人だっているかもしれない。

電子機器が身近な僕たちは、そんな人を見て笑いながら魔法なんかじゃないと否定するだろう。しかし、僕らの中に技術的な仕組みを1から説明できる人がどれだけいるだろう。製造メーカーに勤めている人でさえ、根本的な技術に関わる人はごく一部だ。

僕も当ブログを含めて、いくつかサイトをやっていたりするが、プログラミングの知識はほとんどない。世界中のエンジニアが開発した便利な仕組みを、ただ利用しているだけだ。

ブログやワードプレスなどが生まれる前、ネットで情報を発信するには、自らHTMLを打ち込んでサイトを作るしか方法がなかった。(垢抜けない個人サイトを見るのが、当時趣味だった)

しかし今では、SNSや動画サイトなど溢れるほどツールがあり、誰でも即情報発信が行える。そして実際、使わない人を探す方が難しいほど社会に浸透している。

しかしそれは多くの人にとって「仕組みは分からないけれどなんとなく使えてしまっている」と言う状態だ。今後テクノロジーに慣れ親しんで育った人間は、僕らよりも順応するのかもしれないが、どうやっても人間の進化が科学に追いつくとは思えない。

つまり今後テクノロジーが進化するにつれ、生活における「仕組みが分からない」の割合が凄まじい勢いで増えていくことになる。

1人の人間が一生の間に習得出来る技術量には限界があるはずだから、開発者でさえ根本的な原理を知らない。分からない技術の積み重ねで新たな技術が生まれ、全貌を把握する者が地球上に1人もいない。そんな事態を招きはしないだろうか。

すると例えば、瞬間移動装置がインフラ化し、誰もがボタンひとつで目的地に1秒で到着してしまう世の中。ひとたび装置が故障してしまえば、たった数百メートル先の目的地でさえ、方向が分からずたどり着けない……。

極端かもしれないけれど「仕組みが分からない」が増えることは、こういうことを引き起こすのだと思う。

昔観た映画で、世界のシステムの中枢を担う人工衛星の制御装置を取り戻す。という未来を舞台にしたSF作品があった。

犯罪者上がりの主人公はラスト、装置を奪還するが、地球上の全ての電子機器の動作を停止させる、という絶対に起動してはいけないコマンドを実行してしまう。結果、世界中の電子システムが全てダウンし、築き上げた文明がリセットされてしまう……。

どうしてそんな危険な機能作ったんだよ! と突っ込みたくなるが、テクノロジーが社会の中枢まで浸透し、あらゆるものと通信を行い連動する。そうして技術と生活が切り離せなくなった世界とは、小さなほころびから全てが破綻してしまうような、便利に見せかけてその実態は薄氷の上を歩いているような、そんな世の中なのかもしれない。

僕は路線アプリがなければ電車に乗ることができず、グーグルマップを見なければ町を歩くことさえできない。駅名や路線図、町並みを覚えることがてんで出来ないからだ。

そんな僕だからかもしれないが、期待と好奇心の陰に、常に一抹の不安を覚えずにはいられない。

 

エッセイカテゴリの最新記事