優しさとは「見返りを求めない人間に対する尊厳」なのだと思う

優しさとは「見返りを求めない人間に対する尊厳」なのだと思う

 

人を評価したり端的に性向を言い表すとき、優しいという言葉をよく聞く。温厚とか穏やかとか、似たような響きは沢山あるけれど、優しいという言葉が一番使われやすいと思う。「優しい」と「いい人」は似ているようで違う。

いい人とは、往々にして自分にとって害がない人に使われる。特に嫌いではないから、無難な言い方としてとりあえず「いい人」と言っておく。印象が薄くて自分の中で存在感がなくても、そう言っておけば波風は立たない。つまりその場を繕って言う「いい人」とは、自分にとって「都合の”いい人”」「無害な人」という事なのだ。

しかし度々、そんないい人というお茶濁し的なニュアンスで「優しい人」と言う人がいる。僕はそんな時、優しさとはなんだろうと思う。柔和な顔つきの人が優しそうな人、と言われることは少なくない。

褒めているようだけれど、ちょっとバカにしているようにも聞こえる。見るからに優しそう、なんて言われたら、見た目で勝手に判断した挙句油断されているようで、あまり嬉しくない。優しさとは、それくらい人の内面に関わることなのだと思う。だから簡単に優しい人、と口にするのは躊躇われるのだ。

優しさとはなんだろうか。先に結論を言えば「見返りを求めない人間に対する尊厳」なのだと思う。なんだか堅苦しい感じだけれど、別に自己犠牲とか何かを与えなければいけないとか、そんなことは全くない。

例えば、崖で今にも落ちそうな人を見かけたら、大抵の人は反射的に駆け出してしまうのではないか。そして自分の体力と知恵を振り絞って助けようとする。疲れるし、失敗したら気分が悪くなるかもしれない。それなのになぜ駆け出してしまうのか。

合理的な理由を考えてみる。落ちかけている人が親類縁者、または友人、お世話になった恩師、いずれも自分にとっては大切な存在で、無くなっては困る。それか助けなければ、後々気まずい思いをしたり損をするかもしれない。だから助ける。

もしくは見るからに裕福そうな人、著名人。助けたら謝礼をたんまり貰えるかもしれない。著名人に恩を売れば、それに加えて名誉だって手に入る。いずれも自分の力とリスクを使ってまで助ける理由として、とても納得できる。

他には、一緒に歩いていた交際相手にかっこいい所を見せつけたい、衆人環視の中で自分が助けなければ悪評が広まる、なんて状況もあるかもしれない。

しかしやはり、見ず知らずの素性も明らかでない赤の他人であっても、周囲に誰もおらず自分が助けなければ落ちて死んでしまう。なんて場面に遭遇したら、やはり多くの人は助けようとするのだと思う。

昔聞いた話で、アメリカかどこかで脱獄した囚人が火事の現場に遭遇し、燃え盛る一軒家の中から子供の声が聞こえたため飛び込んだ。やがて子供を抱えて出てきた脱獄者は、駆けつけた警察官によって御用となった。

逃亡生活に疲れ、恩赦を期待しての行動だったのかもしれない。しかし再び捕らえられた囚人にどうして助けたのか。と理由を聞いても、彼は言葉に詰まるのではないか。自らの利を考えず、見返りも求めずに人のために動いてしまう。こういったことの理由は、往々にして説明がつかないものなのだと思うから。

そしてそのような衝動こそが、人間に対する尊厳なのだと僕は考える。

別に命を救うなんてことには限らない。例えば集団で話している時に知り合いが何かを否定された。するとすかさず、彼をフォローするような言葉が口をついて出てしまった。こういった場面に遭遇すると、僕はその人を優しい人だと思う。

理由は分からないけれど、人が傷ついたり嫌な思いをするのが辛い。だから瞬間的に動いてしまうのだ。どんな人であれ、少なくともその瞬間は優しい人だったに違いない。

だから優しさとは心の余裕であり力だとも思う。いい人なだけでは優しい人にはなれないのだ。

 

 

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